いつしか

「お父さんが 坂田さんにものすごい影響を与えたと
書いてありましたが 詳しく教えてください。」
長い間の友人の後藤さんは ある月刊誌の記事を手に持ちながら 
ハガキ道の坂田先生に質問しました。
初めての名古屋での「ハガキ祭り」の前夜祭 気晴亭さんでのことです。
「それはねーーー」坂田さんはいつもの調子で語り始めました。
「まかないがねー 別だったんです。5回も結婚したんです。
それでもねえーー なまんだぶつ なまんだぶつって言ってたんだよねーー。」
いささか酔った私の目から 静かにですが激しく
涙が流れていました。
この お話で。?
わかりません。
どうなっているのか。
友人が長く ヨーロッパにみえて「日本に出張します」とメールが来ました。
そして クラウンさんで飲みました。
「日本へ出張ですか。?」と私。(笑)
なじみの仲居さんが おっしゃるようにいただきました。
アルコールに弱い 四日市のUさんはいつものようにこっくりさんです。
ヨーロッパから出張中のOさんは 目の前で突然慟哭されました。
Oさんはとても純粋なのです。その純粋さと現実の大きな差が
慟哭の理由でしょうか。
そんな話の内容ではないのです。
Oさんが さらに好ましい男にみえました。
いつしか年は過ぎて みんな同じように細胞が年齢を体験します。
おじいちゃんは すこししっかりした頭で 「90までは生きるぞ!」って宣言しました。
「だめ! 100まで僕は160までだから!。」って言いました。
今 88歳です。
感激の体験 今会う人の素晴らしさ。
黄色だけれど黄色ではない 透明な黄色の光に満たされて
私たちは生かされているのでしょうか。
いつも一緒の家族には もう会えないとよく言われます。
だからこそ今一緒の体験を大切にしたいと・・・・
そう思うのです。

それから・・・・

15年前 「情報革命」の世が来るとのお話を
聞く前から その日をドキドキワクワク待ちわびていた
自分がいた。
そしてそのお話は ドキワクどおりのお話だった。
その後数年を経過し それなりにワクワクすることを
 また道を歩んできた。
けれども 本当のものを見つけることはなかった。
4年前 「情報革命」の延長線上にそれが目の前に現れても 半信半疑。
そのまま 空のことのようにやり過ごした一年間がある。
そして 足元をしかっりと見つめなおし 家庭に関わる3年を過ごす。
その間に たくさんのご縁は 薄れていった。
今残るご縁は この映像に必要なものばかりだ。
当たり前のことだけれど。
そして新しいお人とのご縁が広がりつつある。
閉じては またもひとつ開く人生のドアのよう。
もう本当にダメか と頭を下げ恥をかきなんとか
永らえた絆も わからない未来への希望の糸でしかない。
しかもその糸を繋ぐものは 富というものではない。
はかない糸にしがみつくのは何故と 自らに問うてみる。
それは 自分の背負った捨てきれないかすかなボタンなのだ。
そして 他の人がなんと言おうとも離さない業なのか。
あきらめかけた時に サーッと大きな布が拾い上げてくれる。
そう三年前のように。
「死ななくて良かった」ただただそう思う。
そしてまだわからないのかと 試し続けるかのような大きな
意思の存在を感じさせることが頻発している。
明けの夜 明けの世がくるのか。
私の映像は何を結ぶのだろうか。
還暦後の映画は まったくそれまでのそれと異なる展開となってきた。
ありがとうございました。