「1本のホウキが生んだ奇跡」 いっぷくからのありがとうさんの一年に一度の記事

「1本のホウキが生んだ奇跡」のお話です。

<転載開始> 転載元 

何も見えず、何も聞こえず、何も話せない。完全な闇・・・

三重苦という重障害をもちながら、アニー・サリバンという最高の教師の力を得て、

目覚め、成長し、世界中の福祉に貢献した、誰もが知る偉人。

彼女の名は ヘレンケラー

彼女の存在が、どれほど世界中の人に愛の力をおよぼしたか、どれほど多くの人々を救ったか、ですが、このお話は、そのヘレンケラーのことではなく、ニュー・イングランドにある精神病院で働く名も知れぬ、普通のお掃除のおばさんのお話なのです。
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森信三先生の言葉 14~不幸というものは一面からは・・

 不幸というものは一面からは確かに損失といってよいわけですが、しかも天は至公至平でありまして、こちらで損失を起こしたら、他の方面で必ずその償いをしてくれるものであります。しかしながらこの点は、これを信ずる者にのみわかる事柄でありまして、その為に信じられない者は、たとえ償われていても、その償われていることがわからないのであります。

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再録 奇跡の道 その113~最後には一人ひとりが審判されるのか

「最後には一人ひとりが審判されるのか」

まさしく!その通りのようですね。

しかし、もはや恐れと結びつけなくなるときまで
それは訪れませんね。
誰もがそれを歓迎するようになるとき、それが彼に
与えられるのでしょうか。
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再録 奇跡の道 その114~どのように一日をすごすべきか

「どのように一日をすごすべきか」

目が覚めたあと、できる限り早いうちに静かな時間を持ち、
それがむつかしいと感じ始めた後も、1~2分は続けてみる。

その難しさは減少し、消えてしまうかもしれません。
もしそうならなければ、その時がやめるべきときかも。
夜の時間も同じです。

確信しているべきことは、成功は自分がもたらすのではなく、
自分がそれを呼び求めるときはいつでも、どこでも、
どんな状況でも、与えられるということです。

「どのように一日をすごすべきか」

森信三先生の言葉 15~われわれの命というものは、祖先以来・・

 われわれの命というものは、祖先以来無量の生命の重畳であり、その結果と申さねばなりません。実際わたくしたちが、針の先で突いて出る程度の血の中にも、実は過去無量世の祖先の血が圧縮せられて重畳しているわけであります。それ故このように考えて来ますと、わたくしどもは自分の生まれる以前の「業」を、わが身の内に宿しているということは、必ずしもこれを非科学的だとか、迷信といって片づけられないものがあるわけであります。

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 この「業」という考えは、われわれがこの人の世において受ける諸々の悩みや苦しみに対して、何とかして逃げようとか免れようと焦りもがくのではなくて、わが身の受けるべきものは、そのすべてを自業自得として受けるという態度であります。即ちこの態度は、悩みや苦しみを回避するというのでもなければ、さりとてまた単にそれに泣き溺れてしまうのでもありません。そうではなくて、自分の果たすべき「業」はそれを果たして了うまでは、どこまでもこれを甘受し受け容れて行くという態度であります。否、自己の果たすべき「業」はたとえ生涯をかけても、あくまでこれを果たして行こうとする雄々しい人生態度ともいえましょう。それは例えば柿の渋を抜くようなものです。つまりこの「業」という考えに立つ時わたくしたちは、いろいろな悩みや苦しみに出合う毎に、一歩一歩自分のアクが抜けていくのだと考えることが出来るのであります。