ラマナ・マハルシの教え「私は誰か」 22 目覚めているのと、夢見ていることに・・

22・目覚めているのと、夢見ていることに
違いはないのでしょうか?

 眼が覚めている状態は長く、夢は短い。
この他には何の違いもない。
眼覚めている間に起るできごとが真実と
思われるように、夢の中のできごとも
夢の中では真実のように思われる。
夢の中では、心は自分のものではない
身体に宿っているかのごとく装っている。
眼が覚めている状態と夢の両方の状態に
あって、想い、名前、形が同時に現れてくる。

昔の出来事

  

東京に向かう車中で、京都でのさまざまな
方々とのお出会いをいただき、LINE中、
突然に思い出しました。

私は私で私らしく

なんだか暖かな冬があって、
急にらしい冬になって、
いつものようにもうすぐ暖かな春が
来ると感じる、ポワーンとした今日です。
いろんな意味で春が来ました。
家に始めて介護の女性お二人が打ち合わせに
訪れた日、たまたま「やさいのうた」のCDを
もらっていただいたら、「この歌、スーパーできいたことある。!」
とお一人の女性がおっしゃたのです。
「今からライブ聴きましょう。!」と言いますと、「エーッ?」
「今日はマミちゃんではないですが・・・。
キャプテンがうたいます。
たまたま一人で一曲だけのライブです。」
ヒロくんがイスを出して準備する。
しのちゃんのためのライブだ。
ギターの音がやさしく始まる。
「私は私で私らしく・・・」
なんだか安倍首相の答弁、私ラッシュのようだけど。
ギターのトレモロだけでもうヒロくんの想いが伝わってくる。

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ラマナ・マハルシの教え「私は誰か」 23 解脱を願う者にとって、本を読む・・

23・解脱を願う者にとって、本を読むことは
どんな価値があるのでしょうか?

 すべての聖典は、解脱を得るためには
心を静かに保たねばならないと説いている。
だから、全ての聖典の結論は、心を静かに
保つべしということである。
ひとたびこのことが理解されるなら、際限もなく
本を読む必要は何もない。
心を静めるために、人はただ自分自身の内に
自己とは何かと問いつづけるべきである。
聖典を読むことによっては、この探求はできない。

人は自分自身の智慧の眼で、自身の自己を
知らねばならない。

自己は五つの覆いの内側にあるが、書物はその外にある。
自己は、五つの覆いをはぎ取ることによって
探求されるべきものだから、それを書物の
中に求めることの愚かしさは、言うまでもない。
やがて、彼が勉強したすべてのことを忘れ
去らなくてはならないときが来るだろう。

※五つの覆い

五つの感覚機能、視覚、臭覚、聴覚、
味覚、触覚のこと。

「市丸海軍少将の手紙」 奥の院通信から R3 11/21

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先の大戦で、硫黄島最後の突撃に当たって、市丸利之介中将(戦死で中将に昇進)は、先頭将校の腹に、ルーズベルト大統領宛の手紙を巻かせた。どんなに出血しても、血がにじんで読めなくなるようなことのないように、しっかり油紙に包んで、腹に堅く巻かせた。
 幸い、この手紙はアメリカに届いて、数日後にはニューヨークタイムズに掲載された。記事は日本を揶揄する内容になっていたようであるが、とにかく全文が掲載されたという。ということは、ルーズベルト大統領も読んだはずである(彼はこの直後、4月12日に死去している)。この手紙の中に、日本人のこの大戦に対する思いは完璧に表現されている。長くて昔の文章であるから、少々読みづらいかも知れないが、一読をお願いしたい。(若干注釈を加えた)。
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「日本は誰と戦ったのか」奥の院通信から R3 11/22

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昭和12年(1937年)10月5日、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は、シカゴで有名な隔離演説(防疫演説ともいった)を行った。この年は支那大陸で、日本人並びに日本軍が、支那国民党蒋介石軍並びに支那共産党の8路軍の、連続テロ事件に悩まされ、遂に支那事変が起きた年である。
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2524「 神さまと繋がること」2021.11.22 自分で自分を自分するから

https://tenmei999.blogspot.com/2021/11/2524-20211122.html

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年11月16日の記事を紹介します。

「神さまと繋がること」

この夜明け前の一番暗い時、ヨハネの黙示録の中で示されている第7のラッパの音が鳴り響く世の中で生きていて一番心強いことは、やはり神様とともに生きることではないでしょうか。

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ラマナ・マハルシの教え「私は誰か」 24 幸福とはなんでしょうか?

24・幸福とはなんでしょうか?

 幸福は、自己の本性そのものである。
幸福と自己は別のものではない。
世界のいかなる対象物の中にも幸福はない。
私たちは無知のゆえに、対象物から幸福を
得るものと思っている。
心が外に出てゆくとき、悲惨を味わう。
心の願いが満たされるときには、
実は、心は自身の本来の場所に戻っており、
自己である幸福を楽しむのである。
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