神の使者から奇跡の道へ その114~どのように一日をすごすべきか

「どのように一日をすごすべきか」

目が覚めたあと、できる限り早いうちに静かな時間を持ち、
それがむつかしいと感じ始めた後も、1~2分は続けてみる。

その難しさは減少し、消えてしまうかもしれません。
もしそうならなければ、その時がやめるべきときかも。
夜の時間も同じです。

確信しているべきことは、成功は自分がもたらすのではなく、
自分がそれを呼び求めるときはいつでも、どこでも、
どんな状況でも、与えられるということです。

「どのように一日をすごすべきか」

神の使者から奇跡の道へ その115~魔術的想念にどう対処すべきか

「魔術的想念にどう対処すべきか」

このことについての最初の責任は、攻撃しないことですね。

もし一つの魔術的な考えが何らかの形の怒りを
呼ぶとしたら、罪を信じる信念を強めてしまって、
自分自身に有罪宣告をしたということにありますから。

そして、ゆううつ、苦痛、恐れ、災禍が自分のもとに
訪れることを自分で求めてしまったということですね。
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神の使者から奇跡の道へ その116~訂正はどのようにして行われるのか

「訂正はどのようにして行われるのか」

実相は不変であって、魔術的想念は単なる幻想でしょうか。

主要な学びは、魔術的な想念に対して、まったく怒りを
抱かずに反応する方法を学ぶことですね。
怒りは、ただ「罪悪は実在する!」と金切り声を上げますね。
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神の使者から奇跡の道へ その117~正義とはなにか

「正義とは何か」

正義と言えば、邪の連想があります。
いつまでも二元の世界観ですね。
公平と言えば、方向がないですが、
方向がないのはすでに、いつでもいつのときも
その世界が、またその世界だけが遍満しています。

正義とは、不正義に対する神による訂正ですね。

「不正義が、世界の全ての裁きの根拠」
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神の使者から奇跡の道へ その118~癒しと贖罪はどのように関連しているか

「癒しと贖罪はどのように関連しているか」

癒しと贖罪は関連しているのではなく、同じものでしょうか。

この世界では可能な唯一の完全な概念です。

それが完全に統一された知覚の源でもあります。

天国の中の特別な区域としての地獄というものは
考えられません。

赦すことは癒すこと。
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神の使者から奇跡の道へ その121~輪廻転生はあるか

「輪廻転生はあるか」

究極的な意味では、輪廻転生は不可能ですね。

なぜなら、過去も未来も存在しないのだから、
一度であろうと、何度も繰り返しであおうと、
肉体として生まれてくるという概念には
何の意味もありませんね。
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神の使者から奇跡の道へ その122~「心霊的」能力は望ましいことであるか

「(心霊的)能力は望ましいことであるか」

誰にでも自分で自覚していない数多くの能力が
備わっていることは感じていますね。

ですが自分にできることのどれをとっても、
自分自身がほんとうに誰であるかを
思い出すときの栄光に満ちた驚きに、
わずかでも比べられるものはありません。
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神の使者から奇跡の道へ その123~死とは何か

「死とは何か」

死とは、すべての幻想を派生させる中心的な夢。

死は夢そのものなんですね。
生まれてから年をとり、活力を失って最後には
死んでいくもの。?

生命(いのち)だと考えるのは狂気なんでしょうか。
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