随想 伊路波村から93~進 化?

唄の歌詞には旋律、
思い出には映像がセットでないと、
語っても伝わらない。

ましてやその時の感情の動きなど
他の人にわかるはずもない。
わからなくてもいいんだけれど。
魂魄にかかわることにすぎないが。

個々人の体験って何を意味しているんだろう。
それとも何の意味もなくて、ただ体験する人が
勝手に意味を作り出したり、何も感じなかったり
するだけだろうか。

聞いたこともない話に飛び上がり、
感動しすぐ実践行動にうつす人がいる。
そんな人をみて以前の自分をみるように、
ほほえましく感じることもある。

終わったことってあるんだろうか。
人はさまざまな体験をし、
一生を一事に費やす人もあれば、
幾度もその一事を変更し、
生きていく人もある。

決まっているんだろうか。
霊での響きは進化ときいた。
進化してどうなるんだろう。

人生は「選択」か「運命」かでの
エネルギーは「選択」が優るよう。
では「偶然」か「必然」かではどうだろう。
偶然はないって選択したほうが、
人生は輝きそう。

そのほうが対象をすべて感謝にもっていけるから。
何がおきても感謝しよう。
おきることの選択を何度も試されている。
時にはそんな気さえする。

「まだ そんなこと?」ってやさしく笑われそう。
変化しないことを感謝することもあれば、
変化していくことに感謝することもある。
進化よりも変化。
退化も変化。
みんな感謝の対象だろうか。

マジシャンセロは飛ぶ。
肉体を物体が抜ける。
妙なる振動は物体をとらえない。

肉体の苦痛は意識の変化を促し、
感動感激は細胞をみずみずしくする。

だが霊なる響きは、知覚するものすべてを消し、
大なる全体の溢れ、こぼれ、超巨大な実態の
宇宙感、絶頂幸福感を意識にもたらすのか。

進化しなくても、すでにあるものだろうか。

ひとしく すべてのヒトに。

随想 伊路波村から94~「あなたの中の やんちゃな神様とつきあう方法」 金城幸政さん

笑ってしまう面白い人です。
でも泣いてもしまいます。
その人金城 幸政さんのユーチューブです。

https://youtu.be/u6OqEWZm6x4

そして著書 「あなたの中の やんちゃな神様とつきあう方法」です。ここにいる大切なわけ、男女が何故わかりあえないのか、子供とどう接したらいいのか、ひとつの意識がこたえを生んでいます。

古い在庫玄米とピッコロ

2011年8月16日に入れてあった
古い玄米です。
柿渋袋なので、虫が来ない。

しばらくこの玄米3合ずつを
一晩バンブーをかけて食べていました。
普通においしく柔らかい玄米でした。

ただ一晩バンブーをかけますと
不純物というか、ねちゃっとした泡がかなり
受けていた洗面にこぼれました。

ところがピッコロをしのばせて一か月。
三合すくうときにいやにさらさら感があるのです。
いままではなんとなく古い玄米特有の
ねっとり感がありましたから不思議でした。

そしていつものように一晩バンブーをかけました。
いつものねっとりとした泡がとても少なく、
そしてにおいもありません。

お味はおなじようにおいしいのですが、
なんだかそのまま新しい玄米のような感じです。

不思議。

随想 伊路波村から95~人間は何で生きているんですか? 020620

ありがとうおじさんへのある方の質問
Q 人間はなんで生きているんですか?

A そうねえ。まず「生かされてる」のよね.神様に生かされてるのね、
神様も本当は生きてるんでしょう。
その神様は目的を持って
生きてるんですよね。「生きてる」というのは、
いうたら「命の働きが躍動して動いている」という意味よね。
常に、宇宙の創造が一瞬一瞬
新たに行なわれてるという意味ですよね。

神様は何故宇宙を創造しているのか。
やっぱり「喜びを表現している」んですよね。
宇宙全体に。喜びの連続ですよね。

人間も神様の本当は分身として、神様と一体の自分として、
神様の喜びを一緒に味わうわけね。
ただ、一人一人が異なる喜びの味わい方をしてくれないと、
神様は困るんですね。

同じ味わい方だったら二人は要らないですよね。

万人がいてたら、万人全部異なる味わい方をして欲しいのね。
それを全部束ねて神様の大きい喜びに変化するのね。
だから、人は神様とともに生きてるのね。
どこまでも神様とともに生かされている。

目的は神様の目的を持って生きている。
それは、喜びを大きくすること、幸せを大きくすることよね。

Qそれは、自分が思う喜びでいいんですか?

A 自分は自分なりの喜びが、順番に深く大きくなっていくわね。
他の人は、また他の人なりの喜び、味わい方が違うのね。
それはそれなりにどんどん大きく深くなっていくわね。
人まねはいらないね。人まねはしなくていいのよね。
あくまでも自分は自分よね。

Q 自分の喜びを追求していったらいいということですか?

A だから、自分の喜びは神様から来るのよね。
神様から離れたら喜びは消えてしまうよね。
神様から与えてもらうものを、
充分に受け切らないといけないね。
神様の喜びが自分の中に入ってくる。
それを喜べるという状態ね。
だから小さい喜びじゃないよね。
神様の喜び、一人ひとりに与える喜びは、
無限の無限の喜び、大きい。
最初は小さいよね。喜びでもね。
だから、思いの自分を生きているときは、
ちょっと思いどうりになって喜ぶぐらいでしょう。
もの凄く小さいのね。
それを無限に無限に大きい喜びに変えていく勉強がいるの。
それが感謝に生きることよね。
感謝に生きてると気付きが増えて喜びが
大きくなるね。それが深くなっていくね。
神様が与えてくる無限の無限
の喜びにどんどん近づいていけるね。
一人一人が無限の無限の
喜びを味わいつづけて欲しいんでしょう。神様はね。
それを全部束ねて、もっと大きい喜びを神様は味わいたい。

———————————————
人間はどんなときに喜びを感じるのかは人さまざまだ。
でも、深いところでは共通しているのだろうか。

「どんなときに嬉しい?」ある人に聞いてみた。

「うーん。他人が嬉しそうにしているのを見るときかな」

この人はもう神様だ。

三月の催事 伊路波村にて

「テネモスミーティング名古屋」

3月21日(土) 午前10時~12時

場所 山善ビル二階 (伊路波村)

参加費 無料

「冠之会」

3月21日(土) 午後6時~8時

場所 山善ビル二階 (伊路波村)

参加費 1000円(資料代です)

「読書会」

3月22日(日) 午前6時~8時

場所 山善ビル二階(伊路波村)

参加費 無料

朝食費用 別途

☆3月15日 日曜日 午後8時45分 栄アパホテル 5階 集合

野口様との勉強会をします。 無料です。

 

随想 伊路波村から96~シャローム イスラエル

ある日曜日、「シャローム イスラエル」という
イベントに出かけた。

内容はただ現在の駐日イスラエル大使による
「ユダヤ魂と武士道」という講演があることだけが
わかっていた。

その4日ほど前、三重県津市の赤塚高仁さんから
参加勧誘のメールが届いていた。
めずらしいなあと感じながら、すぐに
参加のメールを打っていた。

そのころは、他の方の講演をお聞きすることはほとんど
なくなっていたのだが、何故だか参加したくなったのだ。

それでまた伊路波村のイベント紹介にも
掲載させていただいた。
伊路波村びと5名が参加となった。

だいたいイスラエルと聞いただけで、
少しならず身を退く人が多い中で、
めずらしい人たち。

名古屋の繁華街、今池の「ガスホール」が会場だった。
午後2時の開演少し前に会場に到着。
赤塚さんが受け付けの一番先頭で
待ち受けてみえる。
おひさしぶり握手。

住所氏名を参加用紙に記入する。
所属はテクニオン協会。
現会長は赤塚さんで、故糸川英夫博士
ゆかりのイスラエルと日本友好の会の名前だ。

6年ほど前に糸川博士の遺骨とともに、イスラエル初代
首相のデビッドベングリオンさんのお墓に
お参りしたのである。
糸川さんもベングリオンさんもほとんど知らなかったのに。
その時しかたなく(?)会員を名乗ったわけでの記入。
さすがに駐日大使の登場とあって、
金属探知機のゲートで厳重チェック。
そして会場内へ。

会場はほぼ満員。
和服姿の女性も多い。
すいていそうな後方の席をさがしてウロウロ。
そこで卒論ゼミの恩師を見つけ絶句する。
えーーーーなんで。?

もう恩師と教え子の境などない。
先生は確か72ー3歳か、
こちらは56歳。
こんな年になったら友達みたい。

固い握手をかわして、先生の前の席に座る。
すぐに会は挨拶から始まったので先生とは
それ以上お話できず。

両国の国歌斉唱。
イスラエルメロディーのピアノ演奏。
アコーディオン演奏と続く。
なんだかお隣のお2人はすでに
はなをクシュクシュさせている。(?)

マイムマイムなどおなじみのフォークダンス曲が続く。
イスラエルの国歌と日本の国歌のみが短調の国歌と
聞いていた。なんとなくもの哀しい曲が多い。

そしてイスラエルの唄の独唱女性が登場。
「ユーカリの花」が最初の曲。
司会の方が歌の前に、歌の説明をされるが、
まったく頭にはいらない。
歌が始まった。

じっとヘブライ語の歌を聴く。
またその旋律に響いているいのちを感じる。

「母が ここに 来た時 美しく そして若かった

それで 父は 丘の上に 彼女のために 家を建てた

春は 幾度も巡り 半世紀が過ぎた
そしてその間に 巻き毛も 白髪に変わった

しかし ヨルダン川の岸辺では  なにも起こらなかったようだ

同じ静けさ そしてまた 同じ景色

あおの ユーカリーの林 

あの船 あの橋 

そして香り 

水の上に ぜにあおいの  」

あと2曲あったのだが ほとんど行ってしまっていた。(笑)

映画上映が続く。

1948年5月14日 イスラエルは2000年近くの
流浪の民に終止符を打ち建国する。
分割されたイスラエルとアラブの分離はここから始まった。

国土の殆どが砂漠(地漠)のイスラエルは半世紀をかけ、
すこしずつ緑の国にへと変化を遂げた。
砂漠の農場や養魚場。
植林やクロレラ栽培。

イスラエルの叡智は過酷な国土さえ
変化させる力を持っていた。
そのことにもっとも力を与えたのはベングリオンさん。

デヴィッド ベングリオンさんの高台にあるお墓から
荒野を望む時、今も続くイスラエルの哀しみと
希望を感じない者はいないかも知れない。

休憩 講演と続き、散会。
先生に息子や友人を紹介。
クリスチャンである先生は、主催者の方から
お誘いを受けたから、おいでになったようだった。
「幕やの人も含め、世界中の人々がキリスト教に
なれば世界に平和が訪れますよ。」

いろんな考え方があるものだ。
先生はご健在だ。

古希のすこし前に奥様を亡くされたと聞いていたが、
「最近 ご縁で恋人ができまして それで今年
紹介もかねて 集いをします。」
凄いぞ先生。!!

怒ったお姿を、見たことが無いのです。

シャローム、エルサレムは「平和」

イスラエルは「神との戦い」

随想 伊路波村から97~愛の中へ バラさんありがとう

この10日間は物凄かった。

なかなか、今もボーッとしてる。
バラさんから頂いたパソコンの調子が
おかしくなってから、ずっとバラさんがいた
それまでの10日間だった。

10日タカオがバラさんと会った。
それまで時々二人だけでデートしてたように。
タカオを息子のように感じてたんだろうか。

「うなぎ食べに行く。」とタカオ。
「元気になったんだーー。」とすこし心が喜んだ。

帰ってきたタカオ。
「うなぎ行けんかった。
プライナスの歌、聴きたいって。」

タカオやまわりの人が調整して、
バラさんと入院してる患者さんの
希望者だけの聴衆のライブをすることに。
14日バレンタインデーがその日。

ひさしぶりにバラさんを見舞った。
「ヤー」に笑顔で応える。
でももうおそらく肺が少ししか機能していないの
だろうか、話す言葉がかぼそい。

男性群にはチョコレートをしっかり忘れないバラさん。
細かい配慮はバラさんらしさの現れ。

プライナスの演奏が始まる。
おそらくこんなライブはもうないだろう。

生と死のはざま、すべてを覚悟した人は
純粋な波に満ちている。

「出した音が返ってきたり、スッーっと
吸収されたりはあったけど、そのままそこに
アル感じは初めてです。」
演奏後のプライナス、ヒロリーダーの言葉。

終了後、疲れたのか、バラさんは横たわっていた。
「じゃあね」の声に、
後ろを向いたまま短く手を振った。
それがお別れだった。

プライナスにバラさんから多額のお金が届いた。
いったいどこへ返すの!バラさん。

「ねえ 今の正直な気持ちを手紙に書いて、
速いうちにバラさんに届けるのがいいよ。」

そんなことがあったライブの日から二日後の
16日、訃報が届いた。

告別式の受付は友達ばかり。
丁寧にすべてが読まれた弔電。

バラさん、お姉さん、と呼びかける親しい声が
届くかのようだった。

17日通夜ではプライナスは「ラウンドスケープ」をうたったらしい。
18日告別式では「愛にふれるソング」「サンキュー」
そして「こころのうた」でバラさんを送った。
みんながバラさんを花で包む。
こんなにたくさんの涙のお別れは体験がない。
みんなが泣いていた。

あまりに速すぎる訃報に、プライナスのお礼は
間に合わなかった。

棺にヒロ君が書いた絵とみんなのメッセージを入れた。
じつは18日告別式の日の朝6時、
もうバラさんはやってきていた、そんな気がした。

プライナスは今日も金山で昼ストリートライブ。
バラさんに大きな力を頂いた。

バラさん また会おう。
パソコンずっと持っとるわ。