神の使者から奇跡の道へ その81~中庸な信念というものはない

「中庸な信念というものはない」

一般的に良いこと、とか正義とか、道徳とか
いうものについても、それを守ると言うことは
その人の信念になりますね。

平等感もまた信念。

でもどの信念をとっても、自分が下す決断であって、
その決断の一つひとつを指図する力がありますね。

中庸はゼロですから力はないですね。
あるとしたらしいて言えば中庸力。

どんな決断も分離した考えの中からのものですから、
罪悪と言えて、ですから決断の後には必ず
苦しみが生じます。

分離していないという無罪性の後には逆に必ず
自由が生じるようです。

もし分離していないのならば。相手の自己が自分の
知っている自分の自己ですから、どうして相手を
憎むことなどできるのでしょうか。
特別な者たちだけが敵を持つことができます。

比較とは自我による仕組みに違いなく、愛はいかなる
比較もしませんね。

特別性は常に比較します。

「愛とは延長である」

「中庸な信念というものはない」

テネモスミーティング名古屋 令和3年 1/16 ご報告 その3

Oさん(女性):皆さんにお会いしたくて来ました。
ブログでみて来たいと思って。

昨年はすごい年になって、自分の中から出た
凄いもの。どんなふうに生きていくのかを
思わせられていた。
自分がこうしたいと思うように、
深く深く思った年となりました。
今、作った唄を歌っていきたい。

3月13日(土)ICメイトでやります。
新曲の発表ができるように。

家に荒れた畑地がある。
どくだみがはえたりしている。
息子に言われた。
野菜ができたら素的。

釘本さん:埼玉のテネモスさんに花が花壇にいっぱい。
きれいだと思う人がいなくて「この世は鬼ばかりだな」と
飯島さん。自然に無関心、無関心だと鬼。?
木枯れは無関心。?
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眼精疲労のこと

お客様からご質問があったり、
お知り合いからも、最近眼精疲労が
凄くてというお話があったりしました。

生活や仕事の環境が変化して、
パソコンやスマホを見る機会が増大。
そのことで目が疲れたり、だんだん
見えづらくなったりしてきますね。

きょうのお客様へのお返事です。
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神の使者から奇跡の道へ その82~神の強さを自らの内に・・・

「神の強さを自らの内に自覚している者たちは
戦いというものを考えることさえできない」

すぐ戦って勝とうとしてしまったり、
すぐに裁こうとしがちですね。
過ちも、善も悪も、正も邪もないのに。

信じられませんが、ほんとうは完全無欠であるすべての人は
そのようなことを考えますと、自分の完全無欠性を
失うだけですね。

戦って勝ち取れるものは、ただの肉体に関するものだけ。

自分が一切を持っていることを知っている者は、
制限することなど追及しないで、肉体が提供するものに
価値を見出すことはありえませんね。

父の目的を共有し、それを自分のものと知る者たちには
一体何が与えられているのでしょうか。

きっと彼らには何も不足していないし、いかなる
種類の悲しみも考えられないのでしょう。

そして彼らの愛する光のみが自覚され、愛のみが
彼らの上に輝く。
それが彼らの過去であり、現在であり、未来であり
このすべてが同一で、永遠に完全で、全一に共有されている。

さらに彼らは自分たちの幸福がどのような変化にも
みまわれないと知っているのでしょうか。

「神の強さを自らの内に自覚している者たちは
戦いというものを考えることさえできない」