「天国とは場所でもなく、状態でもない。
それは単に完全なる一体性についての自覚」
なにかあまりはっきりしませんね。
「天国」とかあるのかないのか知りませんが
「地獄」もたいていはあることが行われている
場所って考えがちですね。
“再録 奇跡の道 その63~天国とは場所でもなく、状態でもない。・・” の続きを読む
再生大和 霞の中にて活動する
「天国とは場所でもなく、状態でもない。
それは単に完全なる一体性についての自覚」
なにかあまりはっきりしませんね。
「天国」とかあるのかないのか知りませんが
「地獄」もたいていはあることが行われている
場所って考えがちですね。
“再録 奇跡の道 その63~天国とは場所でもなく、状態でもない。・・” の続きを読む
「誰もが自分を超えたところに運ばれる感覚と
呼べるような体験をしたことがある」
いよいよ至福の感覚についての記述が
多くなってきました。
スポーツ選手なら、ランナーズハイとか、
全てを出し切った時の至福感。
“再録 奇跡の道 その64~誰もが自分を超えたところに・・・” の続きを読む
「真理を幻想のもとに、実相を空想のもとに
運んでくることに人生を費やしてきたあなたは、
夢の道を歩んできた」
今世界で起きていることが、あまりにも
はげしくて、これがとても幻想だなんてと、
またのんきな父さんだ・・とのお声が聞こえそうです。
(笑)
目の前に起きていることは、ただ「受容」するしかない
ようですし、それをどのように感じるかは
すべて個人の自由意思に任されています。
“再録 奇跡の道へ その65~真理を幻想のもとに、実相を・・” の続きを読む
「奇跡とは偽りの神々をすべて手放した神の子が
兄弟たちにも同じことをするように呼びかける行為」
兄弟がいなければ奇跡には至らないと
聞いています。
そして奇跡とは癒しであり救済であるとも。
だいたい神々なんてことはなくて、ただ一つの神の
子である自己が出会った兄弟たちを通じて行う行為が
奇跡(赦し)です。
その行為を通じて、兄弟たちにも同じように
赦しをおこなって、と呼びかけることが奇跡でもあります。
“再録 奇跡の道 その66~奇跡とは偽りの神々を・・・” の続きを読む
「私は何もする必要がない」
アレレ する必要がないと言うことは
必要なものはいつもすべてある ということですね。
そして、まさかのこの言葉を ただの一瞬でいいので
信じ切れば、1世紀にわたる観想以上のものを
あたえられると聞きました。
どうも肉体次元で考えがちな自我人間なので、
「み~んなお任せ」の心境にはなかなかですね。
この「み~んなお任せ」でのうてんきだと
肉体の病気も消えるようですね。
だってないものをあると決めているのは
自我のこころですからね。
“再録 奇跡の道 その67~私はなにもする必要がない” の続きを読む
「赦しでさえも終着点ではない。赦しは麗しさを
もたらすが、創造しない。それは癒しの源ではあるが、
愛の源ではなく、愛の使者である。」
自分と兄弟を赦しても、また赦しても
それは麗しさを感じるだけであって、
決して創造はできないようですね。
だから癒しの源を感じはしますが、
愛の源を感じることは出来ずにいて、
赦しはただ愛の使者とはなる様です。
「学びが終わるのは、愛ではないすべてのものを
あなたが認識したときである」
愛ではないすべてのものを認識したとき。?
それではすべては愛であると魂の底から、
そしてそのことさえも感ずることがなくなるとき。?
見るもの、聞くものすべては愛と。
そうですよね、愛って学ぶようなものでなくて
もともと愛ですね。
“再録 奇跡の道 その69~学びが終わるのは、愛ではないすべてのものを・・・” の続きを読む
「肉体は赦すことはできない」
そうですね。
肉体は決心できませんね。
あたりまえですが。
すべては人間の最大の能力である
自由な心で決めるんですよね。
そしてだれでもが持っている自由な心。
“再録 奇跡の道 その70~肉体は赦すことはできない” の続きを読む