霊性の旅 淡路から神戸へ ~空海のレイラインの終点を訪ねて 1 空海とイザヤ 1

人生がお約束の連続だとすると、目前に起きる
数々の出来事はすべてプレゼントと捉えることが
できます。
それがどのようにつらいことでも、体験体感が
プレゼントとしてもたらされます。
自らの創造した仮想現実であっても、その時
心が感じる意識の変化は永遠です。

その意識の底の底から湧き上がるなんの感情や
判断もなく訪れる霊性の感応や震えは人生の
宝物と思えます。

歴史の学びとか知識では得ることが出来ないもの。
この30年間にこの国や世界のいくつかの体験や
空間から与えられた霊性の響きから、自分流の
いのちの流れを振り返ります。

私たちが知っている歴史とはまったくかけ離れています。

独り言をお読みくださって、何かを感じていただければ
とてもうれしく存じます。

上海の「玉仏寺」でのミャンマーから贈られた
白ヒスイの「釈迦座像」を見た瞬間から、
感応の旅は始まっています。

「勝手な世界のものがたり」をどうぞお読みください。

令和5年11月27日の朝、メール発信。

伊勢ー高野-剣山そして
剣山-伊弉諾神宮ー石上神社ー神戸再度山大龍寺の
レイラインの最終である石上神社と大龍寺の訪問を
目的として参加の方々を募りました。

翌朝5時の出発にも拘わらず、名古屋3名
三重1名金沢1名、神戸1名の計6名での
日帰り旅となりました。

集合の地は神戸大橋がみえる淡路サービスエリア。
午前8時集合です。

昨年までにその他のレイラインの地点は訪問済み。
昨年7月17日の剣山ではリフトの上からの写真が
霊性の響きと共にイザヤのお迎えがあったかのようです。

このイザヤはおそらくレビ族の三代目イザヤかも。

40日間の大雨大洪水のあとアララト山に着いた
ノアたちのその日は7月17日で京都の祇園まつりの
日でもあります。
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霊性の旅 淡路から神戸へ ~空海のレイラインの終点を訪ねて 2 空海の真実 

さて紀元前720年という時期のお話から
平安時代に生かされた空海へと時代は飛びます。

この物語は史実を越えたお話です。
ただ個人的な霊的感応のみがたよりの
あやうい物語かも知れません。

空海は今の四国香川県生まれ。
空海は天才ですが普通の学びにあきたらず、
仏門を目指します。
空海の出自は「阿刀家」です。
やはりイザヤと同じです。
大和(ヤマト)の国の祭祀です。
大和の国の「三種の神器」を守るお役です。
ヤマトとはヘブライ語で「神の民」の意です。

空海は遣唐使としての役目を果たします。
恵果阿闍梨に灌頂を受け無事に二年間で帰国します。
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霊性の旅 淡路から神戸へ ~空海のレイラインの終点を訪ねて 3 ゆずるは神社から夢泉景へ 

参詣の始まりです。

まずはイザヤたちが三種の神器を祀ったとされる
ゆずるは神社そして昔は「四州園」でいまは
「夢泉景」というホテル内にあるイザヤの最大の
遺跡の順です。

鳥居や遺跡に捧げるというか清めのお酒持参。

ゆずるは神社へは大変に厳しい坂道と聞いていました。
ところが同行のHさんが体験者で、あらかじめ良い道を
案内いただきました。
その道中は、同じく同行の神戸のアイリッシュハープの
Kさんの音楽と共にまるで天国のような情景が続く
道行となりました。
お二人に感謝しました。

ゆずるは神社です。

古く清らかな空気感です。
古代イスラエルらしく小さな石のサークルです。
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霊性の旅 淡路から神戸へ ~空海のレイラインの終点を訪ねて 4 淡路最北端の石上神社を訪ねる

さて空海の剣山ですが、剣山に今も秘宝があるか
どうかはわかりません。
ただこの国が神武天皇によって建国された
前2660年はイザヤ一行が淡路に着いた年と
離れてはいません。

実はその以前にもこのシオンの国を古代イスラエル人は
幾万人も四国の南から上陸し剣山に住まいしたことが
分かっています。
古代イスラエルの人々は南と北の民族に明らかなように
一緒になっては離れ違う方向を目指すという習わしのような
ことがあったようです。
剣山山頂に国を構えましたが離れる民族は下の祖谷へと
移住しその人たちは深い谷を挟んでイスラエルの地と同様に
山の切り立った山の中腹に住まいしています。

このような唄があります。

EPSON MFP image

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霊性の旅 淡路から神戸へ ~空海のレイラインの終点を訪ねて 5 神戸再度山 大龍寺

いよいよ今回の空海のレイラインの最終点である
神戸再度山の大龍寺です。

これでこのラインは閉じます。
なんてことはなくてただ人が意識を持って
参詣するだけなのですが、達成感が満ち溢れます。

神戸の街を抜けてすぐに迫る山を登っていきます。
もう夕暮れが迫っていました。
急がないと参詣は無理。
到着時には山のことなのでもう薄暗い感じです。

先に到着した金沢のTさんが石上神社に来ることが
できなかった意味がここにきてわかりました。

先に到着してお寺のお坊さんに、もうすぐ仲間が5人
到着するのでと話し、寺の階段や境内を照明を付けてくださいと
お願いしていただいていました。
機転が利き、またとてもやさしいことに感謝です。

おかげで山への急な長い階段を上ることができました。


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霊性の旅 淡路から神戸へ ~空海のレイラインの終点を訪ねて 6 阿刀家の神社 夜の京都「阿刀神社」へ

やっとのことで京都に着きました。
それでも名神のインターから30分。
ナビの場所にまったくなく、皆さんで必死に
探します。

そこは車で入れる場所ではなく、広い道路に
車を停めて徒歩での参拝となります。

人がすれ違うこともできないほどの狭い道を
行きますと、そこに「阿刀神社」が。

小さな神社は真っ暗です。
ですがしっかりと石の礎で出来た祠です。

石はイスラエルの象徴。
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霊性の旅 淡路から神戸へ ~空海のレイラインの終点を訪ねて 7 エピローグ 幾度もの人生

人間は何故生まれ出たのかはとても大切なテーマ。

それを追いかけ今の人生の意味を数々の体験によって
知ります。
今の出生の条件はお人によってさまざまです。

仏道では今の人生を過去世においての
「因縁」から作ってきた結果と説きます。
過去出してきた意識とそれに起因する因縁の結果と
今を説明しています。
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霊性の旅 淡路から神戸へ ~空海のレイラインの終点を訪ねて 8 エピローグ あなたの魂はどこに

釈迦は語ります。

「無明を去れ!」

無明ってなんでしょうか。
知らないってことを知りなさいという意味でしょうか?

そして毒杯をうろたえもせずあおいだソクラテスは言います。
「無知の知」または「不知の知」

それもまた釈迦と同じように知らないってことに気付けというのでしょうか。

何を?

人として今生に出て、様々を体験し人としての喜び悲しみ
怒り不安感動幸せなどなどを感じます。
肉体がすべてと大抵は思います。
そして「幸せになりたい」と誰でもが思うことでしょう。

ですが人間が感じる幸せってなんなのでしょう。

おいしいものを食べ、何の不安もなく、住む家があり、
毎日が変化に飛びワクワクして生きる楽しみがある。
そのことなのでしょうか?
そして肉体の健康に恵まれ、何の恐れもなく死に向かう。

そのことなのでしょうか?

あなたは一体なんなのでしょう。

人生に於ける数々の霊性の体験は今生における宝物です。
なぜかといえば人は決して一度きりの人生ではないことを
その体験は告げていると確信させるものだからです。

人間ですからとてもつらい体験が皆様にもあることでしょう。
しかしその体験の客体を憎むことなく、輝きをもって
受容し主体客体ともに赦しを持って通過する時、人はさらに
反転し輝き、次なる天啓を受けることとなるのでしょうか。

人間的な喜びや悲しみ怒りに翻弄されている間は無明を去ったり
無知を知ることは出来ないのかもしれません。

自分とは何か、この現実とは何かが分かった時に
いかなる時もいつも幸せに満ちいつも喜んでいる自分(分け御霊)に
驚くことでしょう。

人生という旅は続いています。

      つづく・・