読めば心が熱くなる・・ 第二弾 30 「本当の悲しみは涙が出ない」

塩見 志満子 のらねこ学かん代表

 私はそれまで長く、教師として子供たちに人権教育を行ってきました。いじめはいけない、差別はいけないと。だけど、ひとたび学校を出て家庭の主婦に戻ったとたんに対岸の火事でした。自分がその身になれないんです。「これではいけない。養護学校に通う、あの子らに本気で学ばなんだら、きっと一生後悔するだろう」と痛烈に思いましたね。教員になりたい人はいっぱいいます。だけど、この子らの将来を支える人がいない。この子らには卒業しても「おめでとう」と言ってあげられない。次に行く所がないわけですから。私はこの子らと一緒に生活できる人になろうと思いました。それで五十七歳の時、教員を辞めて、知的障害者のための通所施設「のらねこ学かん」を立ち上げる決意をしたんです。
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致知出版社 一日一話 読めば心が熱くなる・・ 第二弾 29 「本当の幸せはどこにあるか」

黒柳 徹子 女優

 ソントン・ワイルダーというアメリカの作家が書いた「わが町」というお芝居があります。
 主人公はエミリーという女の子ですが、彼女は自分の子どもを産んだ後、二十何歳かで死ぬんです。お姑さんたちは先に死んでいて、舞台の右と左にこの世とあちらの世界があるという終わりのほうのシーンで司会者が、「自分が一番幸せだったと思う日、たった一日だけこの世に帰らせてあげる」というんです。エミリーは十二歳の誕生日の日を選びます。
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致知出版社 一日一話 読めば心が熱くなる・・ 第二弾 28 「フランクリン 十三の徳目」

 渡邊 利雄 東京大学名誉教授

 ベンジャミン・フランクリンの「自伝」の中に、世界でも広く知られた「十三の徳目」があります。
 フランクリンにとって「十三の徳目」は「道徳的に完璧な域に達しようという、大胆で困難な計画でした。「自伝」にはその実践法が細かに記されています。
 彼はまずこれらの徳目を習慣化するために手帳に表を作り、各徳目についての達成度を厳格に点検していくのです。例えば最初の週は一番目の徳目の「節制」に意識を集中させ、節制に関することは、どんな些細な失敗も目を光らせる。夕方に一日の過ちを黒点で記録する、というものでした。
 一週間で黒点がなければこの徳目は達成、それを確認した上で、次の週は二つ目の「沈黙」に移る。若き日のフランクリンは、このようにして「十三の徳目」を実践しました。
 全部を一度にやるよりは、まずは特定の徳目に注意を集中させ、それを一つずつ広げるのが効果的だという、いかにも合理主義者らしい彼の考え方が読み取れます。
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致知出版社 一日一話 読めば心が熱くなる・・ 第二弾 27 「兄・小林秀夫から学んだ感受性の育て方」

高見澤 潤子 劇作家

 兄に感受性を養い育てるにはどうしたらいいかと聞いた時、兄はこう答えた。
「始終、怠ることなく立派な芸術をみることだな。そして感じることを学ぶんだ。立派な芸術は、正しく豊かに感じることをいつも教えている。先ず無条件に感動することだ。ゴッホの絵だとかモーツアルトの音楽に、理屈なしにね。頭で考えないでごく素直に感動するんだ。その芸術から受ける何とも言いようのないわからないものを感じ、感動する。そして沈黙する。その沈黙に耐えるには、その作品に強い愛情がなくちゃいけない」
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致知出版社 一日一話 読めば心が熱くなる・・ 第二弾 26 「どうか主人の遺志を継いでください」

西村 滋 作家

 ベストセラーとなった自伝的小説「お菓子放浪記」がなぜ生まれたのかについてちょっとお話しますね。昭和十五年の暮れ、孤児院から逃げ出した僕は、おなかがすいてしまって、あるパン屋さんの店先で菓子パンをね、ちょっと失敬してしまったんですよ。お砂糖が配給になって、甘いものがだんだんなくなってくる時代でした。
 ところが情けないことに、その菓子パンを食べる前に刑事さんにつかまっちゃってね。年の瀬を一回だけ警察の豚箱で迎えているんです。ある少年院に廻されることが決まると、僕を捕まえた刑事さんに連れられて目的地まで行くわけですよ。
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致知出版社 一日一話 読めば心が熱くなる・・ 第二弾 25 「人間は義務だけでは駄目だ」

西村 滋 作家

 ベストセラーとなった自伝的小説「お菓子放浪記」がなぜ生まれたのかについてちょっとお話しますね。昭和十五年の暮れ、孤児院から逃げ出した僕は、おなかがすいてしまって、あるパン屋さんの店先で菓子パンをね、ちょっと失敬してしまったんですよ。お砂糖が配給になって、甘いものがだんだんなくなってくる時代でした。
 ところが情けないことに、その菓子パンを食べる前に刑事さんにつかまっちゃってね。年の瀬を一回だけ警察の豚箱で迎えているんです。ある少年院に廻されることが決まると、僕を捕まえた刑事さんに連れられて目的地まで行くわけですよ。
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致知出版社 一日一話 読めば心が熱くなる・・ 第二弾 24 「人はその人の性格にふさわしい出来事に出合う」

大島 修治 ジェイ・コスモス代表取締役

 約六年前、私が会社の社長室で仕事をしていると、ドアをノックする人がいました。はい!」と言って扉を開けた瞬間、何者かが私にガソリンをかけ発煙筒を焚きつけました、熱い・・・。燃え盛る衣服を剥ごうとして、私の右手は焼けただれてしまいました。その後、救急車で病院に担ぎこまれましたが、身体の六割以上が焼けてしまった私を見て、医師は、「もう無理です。助かりません」と言ったそうです。しかし、私は悪運が強いんですね。五度の危篤状態に陥り、血圧が二十以下に下がってもまだ生きていました。奇跡的に一命をとりとめましたが、ベッドに横たわり考えるのはいつも死ぬことだけでした。全身焼けただれ、ちょっと消毒するにも金だわしで傷口をえぐられているように感じます。「なぜこんなに俺を苦しめるんだ!いっそ一思いに殺してくれ!!」病院中に私のわめく声が響き渡ることも少なくありませんでした。
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致知出版社 一日一話 読めば心が熱くなる・・ 第二弾 23 「お母さんの力」

東井 義雄 教育者

 長崎に、原子爆弾が落ちました時、当時、十歳であった萩野美智子ちゃんの作文。

 雲もなく、からりと晴れたその日であった。私たち兄弟は、家の二階で、ままごとをして遊んでいた。その時、ピカリと稲妻が走った。あっというた時にはもう家の下敷きになって身動き一つできなかった。(大きいお姉さんが水平さんを呼んできて、美智子さんは救出されました。しかし・・・)
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