森 信三 運命をひらく 365の金言 57 「心の置土産 ②」

心の置土産 ②

 今諸君らの生活が、真に深く、かつ内面的に大きかったならば、諸君らの精神は、必ずや後に来る人々のために、一種の置土産となることでしょう。さらにまた、私共のように教職にある者としては、その精神は、仮にその学校を去る時がありましても、もしその生活が真実であったならば、かならずや後に多少の余韻が残るようでなくてはなりますまい。
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森 信三 運命をひらく 365の金言 55 「和顔と愛語」

和顔と愛語

「われわれ人間は、いやしくもこの地上に不幸の人が存在する以上、自分の幸福に対して、どこか相すまぬという気持ちを忘れこと」だと思うのである。同時にかくは考えても、この地上の人類のすべてを一人残らず幸福にするということは、現実としては到底実現不可能という外ないであろう。
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森 信三 運命をひらく 365の金言 54 「人生の秘訣」

人生の秘訣

 電車などに乗った際、かりに途中で何か事が起こり、七、八割の乗客が立ち上がって、窓から外をのぞくような場合にも、じっと座っていられるような人間でなければ、大事はできません。もう一つの例を申せば、橋の下に何かの事故があって、黒山を築くほどの人だかりがしていても、それには見向きもしないで、平気でスタスタとその橋が渡れるようでなければ、大事は出来ません。こういうことは、何でもないことのようでありながら、実は「人生の秘訣」といってよいのです。前に申すような事柄に、動かされるような人間はかれこれいってみたとて、結局、真の頼みにはなりません。

 人間は百人の中九十九人、否千人中九百九十九人までが引きずられても、自分一人は引きずられぬという処がなくては大事はできません。つまりそれでなくては、百人中九十九人、否千人中九百九十九人までの人間のやらないことを、われ一人進んでやってのけるという、真の力は出ようがないのです。

森 信三 運命をひらく 365の金言 53 「死は汝の側にあり」

死は汝の側にあり

欲の最大なるものは生命の欲である。
これを超越することが出来たら、
自余一切の欲望をうち越えることが出来る。
生命の欲を越えるとは、常に「何時死ぬかも知れぬ」と覚悟していることである。
「死は汝の側にある」で、われわれは生命のある中に、ひたすら道を修行せねばならぬ。
人間は死を覚悟して初めて腰が決まるんですよ。

森 信運命をひらく 365の金言 51 「人生は大マラソン」

人生は大マラソン

人生は唯一回の大マラソンである。
途中でくたばっては駄目。
 そして「死」が決勝点だから、
「死」が見え出したらひた走りに突っ走らねばならぬ。
それゆえ偉人は四十頃からぼつぼつスピードをかけ出すが、
凡人は四十頃から早くも力を抜き出す。