奇跡のコースの三冊の本は自主学習の本です。
そのどの本から読み始めることも自由です。
また異なる本に途中で注目することも自由です。
後ろから読んでも、初めからでも、中からでも
なんでも自由です。
もともと言葉には限界があります。
“再録 奇跡の道 その127~ あとがき” の続きを読む
再生大和 霞の中にて活動する
奇跡のコースの三冊の本は自主学習の本です。
そのどの本から読み始めることも自由です。
また異なる本に途中で注目することも自由です。
後ろから読んでも、初めからでも、中からでも
なんでも自由です。
もともと言葉には限界があります。
“再録 奇跡の道 その127~ あとがき” の続きを読む
1.贖罪とは知覚の訂正
2.知覚の訂正の贖罪の手段は赦し
3.普遍的な体験を目指すのがコース
4.象徴を超えたところにあるものは表現できない
5.ただ体験があるのみ
“再録 奇跡の道 その128~用語の解説 1” の続きを読む
ひとたびこの旅が始まればその終わりは確実だと
言われています。
助けを必要としている者はみな、自分自身を
攻撃しています。
他者のために祈る必要がなぜあるのでしょうか。
それはあなたが自分の罪悪感(分離感)の投影を
兄弟から取り去るため、および、自分を傷つけているのは
彼ではないということを認識できるようになるための
手段にすぎませんね。
“再録 奇跡の道 その131~聖霊” の続きを読む
ここまで自己学習である「奇跡講座」の中の
数々の言葉や、体験の中から感じられた言葉を
交えて、「奇跡の道」について書かせていただきました。
あまりに単純なことなのに、このように134項もに
わたって記述が続いたことに驚きです。
人生での数々の御縁が、自らが生まれ出たわけを
伝えているようです。
どんなささいな出会いでも、出会ったことは意味があって、
その時に感じた多くの「分離感」をすべてなくすように、
「赦し」
の機会を出会いによって与えられるようです。
「赦し」がとても困難と思えることがらや、
お人との御縁であっても、そのことやお人への
「赦し」が困難であればあるほど、またそれが
大きければ大きいほど、赦し赦された時に、
「奇跡の道」はめざましく広がりを見せていきます。
「やってみること」しかご進言できる言葉はありません。
しかもその「赦し」には大きさの違いはありません。
どんなことも、小さなことも、大きなことも
一つ残らずするしか道は開けません。
難しさの差は関係ないようです。
一つ残らずですから。
ほんとうに、最後に、
「宇宙があなたの解放を待っています。
それは宇宙全体の解放だからです。
宇宙とあなた自身に対して、親切でありますように」
ありがとうございます