ラマナ・マハリシの教え「私は誰か」 10 どうすれば心は静かになるのでしょうか?

10・どうすれば心は静かになるのでしょうか?

 「私は誰か」と尋ねることによって。
「私は誰か」という想いは、他のすべての想いを
破壊するだろう。
燃えている薪の山をかき混ぜる木の棒のように、
やがては「私は誰か」というその想い自身も
滅ぼされてしまうだろう。
そうすれば自己実現がやってくるだろう。

ラマナ・マハリシの教え「私は誰か」 9 心の本性を知るにはどのような道があるのでしょうか?

9・心の本性を知るにはどのような道があるのでしょうか?

 この身体の内に「私」として立ち現れるものが心である。
自分の身体の内のどこに、まず「私」という想いが
現れるか調べてみると、それは自分のハートであることが
知られるだろう。
そこが心の起源の宿る場所である。
人が絶えず「私」「私」と考えていると、
いつしかその想いはハートに集められてゆくだろう。
心の内に現れる、すべての想いの中の最初のものは
「私」という想いである。
他の想いはその後にやってくる。
第二第三の代名詞が現れるのは、最初の個人代名詞が
現れた後のことである。最初の個人代名詞なしには、
第二第三のものはありえないだろう。

ラマナ・マハリシの教え「私は誰か」 8 心の本性とはなんでしょうか?

8・心の本性とはなんでしょうか?

 いわゆる「心」と呼ばれているものは、
自己の内に住んでいる驚くべき力である。
心はすべての想いが起こってくる源である。
想いを離れて心はない。
それゆえ想いが心の本性である。
想いなくして、世界と呼ばれる独立した実体はない。

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ラマナ・マハリシの教え「私は誰か」 1

友人からいただいたラマナ・マハリシの「私は誰か」を
連載させていただきます。

故山尾三省さんによる翻訳小冊子からです。

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すべての生きものは、いつでも幸福である
ことを願い、悲惨ではないことを願っている。
私たちひとりひとりについて考えてみても、
そこに自己への至上の愛があることが
認められる。

その愛の源はただ一つ幸福である。
人間の自然性である幸福、意識のない
深い眠りの中で体験される幸福を
手に入れるためには、人は自己を
知らねばならない。

自己を知るためには、「私は誰か」という
問いで自己を尋ねる知識の道が、
最も重要な方法である。

1・私は誰でしょうか?
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