森 信三 運命をひらく 365の金言 50 「人間の気品」

人間の気品

 そもそも人間の「気品」というものは、いわばその人の背後から射してくる後光みたいなものでありまして、それは結局その人が他人の見ていないところで、どれほど自己を慎むかどうか、その程度によって光の差し方が違ってくるわけであります。
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森 信三 運命をひらく 365の金言 49 「人間の真のねうち」

人間の真のねうち

 そもそもわれわれ人間の真のねうちは、結局はその人の心の清らかさのほかないともいえましょう。いかに多くの富を蓄えても、またいかに大事業をしたとしても、さらにまたいかなる高位高官に昇ろうとも、人間の最後のねうちは、結局は心一つの問題といってよいでしょう。すなわち、「心の清らかさ」という一事のほかないわけであります。
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森 信運命をひらく 365の金言 48 「人間として大事な二か条」

人間として大事な二か条

 人間として大事なことはたくさんあって、それらを一々あげ出したら、まったく際限のないことだといってもよいでしょう。ですから、それらを一々ならべるよりも、それらをギリギリの処までしぼって行って、最後に残るものは何かということをハッキリさせることのほうが、実さいにはより大事ではないかと思うのであります。

 ではわれわれ人間として、色いろ大事なことがありながら、最後のギリギリ一つの手前のところまでしぼってゆくと、

 (一) 一たん決心した以上は、必ずやり抜く人間になるということ

 (二)もう一つは、人に対し親切な人間になるということ

以上の二つだと思うのであります。

 

森 信運命をひらく 365の金言 47 「人間の生命に値する生き方」

人間の生命に値する生き方

 この地球上には、人間以外にも無数に他の生き物がいるにもかかわらず、われわれはとくに「人間」としてこの世に生まれて来たわけですが、しかしそれはなんらわたくしたちが努力したせいではありません。

 つまりわたくしたちは、自分として何ひとつこれという努力もしないのに、こうして一切の生き物のうちで、いちばん高い位置にある「人間」としての「生命」をあたえられたわけであります。

 したがってわたくしたちは、どうしてもそれに値するるような生き方をしなければならぬわけであります。
 
 大事なことは、この「人間」としてのわたくしたちの一生は、二度とやり直しの利かぬものだということであります。

森 信運命をひらく 365の金言 46 「自己を鍛える最上の場所」

自己を鍛える最上の場所

 河水の濁りを清めるには、まず遡ってその源を清めるほかに途はありません。
 同様にわたくしどもも、自己を鍛える最上の場所は、結局は家庭のほかにはないでしょう。
 かくして家庭生活こそは、実に人間修養の根本道場というべきであります。
 もしこの趣が分かって、家庭おけるわが生活の根本的な立て直しの覚悟が決まったとしたら、もうそれだけでも、その人の態度の上に、一種の緊張が見られることでしょう。

 すなわちそこには、未だかって見られなかったような凛子たる人間的緊張と、それに伴うゆかしさがうかがえることでしょう。

森 信三 運命をひらく 365の金言 45 「出処進退の問題」

出処進退の問題 

すべて物事は、平生無事の際には、ホンモノとニセモノも、偉いのも偉くないのも、さほど際立っては分らぬものです。ちょうどそれは、安普請の借家も本づくりの居宅も、平生はそれほど違うとも見えませんが、ひとたび地震が揺れるとか、あるいは大風でも吹いたが最期、そこには歴然として、よきはよく悪しきはあしく、それぞれの正味が現れるのです。
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森 信三 運命をひらく 365の金言 44 「人間のお目出たさとするどさ」

人間のお目出たさとするどさ

 そもそも私達が、一つの徳目を真に徹底的に履み行わんがためには、結局根本において、人格の転換を必要とすると言えましょう。たとえば人が傲慢に振舞うということは、畢竟するに、その人が調子に乗っているということであり、したがってそれは、一見いかにもえらそうにしていながら、実は人間のお目出たい何よりの証拠であります。つまり自分のそうした態度が、心ある人から見られて、いかに滑稽であるかということに気付かない愚かさであります。同時にまた卑屈いということは、一面からは、その人間のずるさの鉦鼓とも言えましょう。何となれば、人間は卑屈の裏には、必ず功利打算の念が潜んでいると言ってよいからです。
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森 信三 運命をひらく 365の金言 43 「尊敬するということ」

尊敬するということ

 尊敬するということは、ただ懐手で眺めているということではなくて、自分の全力を挙げて相手の人に迫っていくことです。地べたをはってにじり寄っていくようにーです。つまり息もつけないような精神の内面的緊張です。薄紙一重もその間に入れないところまで迫っていく態度です。

 迫ろうにも迫れないと思っているのは、君がまだ真に迫ろうとしていないからです。人間としてのほんとうの力が、まだ動き出していないからです。つまり生命の要求が弱いのです。
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